ゆるオタ日記

推しに生かされている社畜のひとりごと

ガチ恋?リアコ?

突然ですが、私は推しと付き合えるもんなら付き合いたいです。
理由は簡単。
だってかっこいいから。

だけど、それがガチ恋やリアコかと言われると違う気がするんです。



私は気持ち悪いオタクなので、もし推しが彼氏や友達だったらと想像するのは楽しいので、暇な時(主に寝る前)にやっています。
色んなパターンで、推しと仲良くなるならどういう出会い方があるかを真剣に考えて妄想しています。

気持ち悪いけど引かないでいただきたい。

ですが、そんな妄想を楽しめるのも、自分がリアコじゃないからじゃないかなーって思うんです。
きっとリアコだったら、現実に戻った時に悲しくて虚しくて、こんなに楽しく妄想なんてできない気がするんです。

これ、書いてる本人は割と真剣なので引かないでくださいね。



私が見てるのはあくまでも俳優としての推しなので、プライベートの推しの性格なんて知りません。いくら俳優仲間から情報が入ったとしても私はそれを見てないし、言ってしまえば仕事仲間に全てを見せてるかなんて分からない。

ファンとしてイベントで接触できる時はそりゃあ優しいけど、プライベートでファンも何も関係ない立場で出会った時の推しの態度なんて、知る由もありません。

なのに、どうしたらリアコになれることができるのか。

私の場合、もうファンとして好きになった時点で、きっとリアコになるのはありえないんだろうなと思います。

まあ、私の顔がめちゃくちゃ可愛くて、一般人より遥かに可愛くて美人な女優やらアイドルやらと共演する推しに好きになってもらえるレベルの顔面の持ち主だったら、考えは変わってたかもしれないですが。



なので、私は推しが大好きですが、その好きはリアコ的な意味とは違うんだろうなと。

冒頭でも書きましたが、もちろん付き合えるもんなら付き合いたいです。
かっこいいと思って推してるのに、付き合いたくないなんて思うわけがないです。

それは、私が素の推しを知らないから言えることだとしても。



で、こんなことを書いて結局推しに何を求めているのか、私は推しの何になりたいのかというと、別に何もしてくれなくてもいいし、このままただのファンのままで充分幸せハッピーです。
ただ舞台に立ってくれているだけでいいし、それを応援させて欲しい。

リアコになって最終目標を付き合うこととするなら、認知してもらうなり何らかのルートで出会う必要があると思いますが、認知なんてしなくていいし、そもそもファンの母数的に無理だし、私なんかを記憶に入れる努力はしなくていいと思っています。

覚えてくれなくていいけど、手紙なり接触イベなりで私という人間を一時的に認識した時、この子がファンで良かったなって思ってもらえるようなファンでいたいとは思います。

ファンのことを思い出す時に、私の顔なんて浮かばなくていいから、こういうファンが自分についていてくれたことが嬉しかったという記憶の一部になってくれれば、ファンとしてそんな嬉しいことはないと思うんです。

そして私は推しから生きる活力を貰ってる分、推しにとって何かプラスになるようなファンでいたい。

なので私はガチ恋でもリアコでもなく、結局ただファンとして好きなだけなんだなと。

そんなことを思いながら書いたわけですが、特に何が言いたいとかはなく、何が正しいとか正しくないとかではないと思います。

ただ、リアコについて自分はどうなのかとふと思ったので、今回の記事を書いてみましたっていうだけでした。